呼吸で返事すな!
厳しい家庭で育ち、怒られ慣れた後輩から学んだこと
「っす…」
それは返事ではない。
でも彼の中では、たぶん立派な「はい」だった。
初めての後輩
私が入社2年目の4月、初めて後輩が入ってくることになった。
私の支店には新入社員はたった1人。
しかも関西の有名私立大学の大学院卒。
年齢は私より2つ上。
私は思った。
「なんで院卒でうちの会社の営業?」
ちょっと楽しみにしていた。
第一印象は、思ったより小さい。
幼い頃から体操をしていたらしく、体はしっかりしている。
そして、まつ毛が異様に長い。
綿棒を乗せても落ちなさそうなまつ毛だった。
魂が半分ログインしていない男
配属は私とは別部署だったので、一緒に仕事をすることはなかった。
でも同じフロアにいたので、彼の様子は自然と耳に入ってきた。
そしてすぐに分かった。
木下は、見事なポンコツだった。
やる気がないわけではない。
たぶん、本人の中ではちゃんと働いている。
でも、会社という場所に、魂が半分くらいしかログインしていなかった。
彼の返事はいつだって
「っす…」
と息を吐くような音だった。
そのたびに直属の先輩が怒る。
「木下ぁー!、呼吸で返事すな!」
名言だった。
返事をしろ、ではない。
呼吸で返事すな。
そんな注意、初めて聞いた。
謝罪の形をした通過儀礼
ある日、木下が大きめのミスをした。
他部署の上司が担当しているお客様の注文を、自分の取引先の注文だと勘違いして、勝手に商品を発送してしまったのだ。
本来届くはずだったお客様には商品が届かない。
一方で、木下の取引先には必要のない商品が届く。
一度で二度まずい。
事務所内は少し騒然としていた。
それまでも何度かミスをしていたので、またやらかしたという感じだ。
そんな中、私は会社の玄関で木下に会った。
いつものように、少しへらっとしている。
私は木下が少し不憫で先輩風を吹かせた。
「ちゃんと謝った?」
「まだ。」
私が年下だからか、常にため口だった。
「直接謝った方がいいよ。頭いいんだからさ、もうちょっとうまくやりなよ。」
すると木下は、うっすら微笑みながら言った。
「っす…」
その後、木下は事務所で直接謝りにいっていた。
「すみませんでした。」
でも、どうにも軽い。
謝罪というより、謝罪の形をした通過儀礼だった。
もっとうまくやればいいのに。
私は不思議だった。
なぜこんなに怒られても響かないのか。
家庭内稟議制度
後日、会社の飲み会でその理由が少し分かった。
木下のお父さんは、ものすごく厳しい人だったらしい。
超一流大学を出て、大手企業で役員クラスまで務めたような人。
家では、何かを買ってほしいとき、父親にプレゼンをしなければならなかったという。
例えば、ゲームがほしい。
じゃあプレゼン。
通過するとポイントが貯まり、そのポイントでようやく欲しいものを買ってもらえる。
家庭内稟議制度である。
木下は、怒られることに慣れすぎていたのだ。
厳しい言葉が、右から左へ流れる体になっている。
と、本人が言った。
その話を聞いたとき、少し腑に落ちた。
会社でどれだけ先輩や上司に怒られても、
全然気にしていない理由が、少しだけ分かった気がした。
優秀な親が、必ずしも子育て上手とは限らない。
熱量の高い教育が、そのまま子どもの熱量になるわけでもない。
子どもは、親の思い通りには育たない。
むしろ、思い通りにしようとすればするほど、どこかで魂だけ別の場所へ逃げてしまうのかもしれない。
仕事では出ない熱量
とはいえ、木下は会社で浮きはしなかった。
一緒に仕事をしたいかと言われたら、正直かなり悩む。
でも友達として飲みに行くなら、ちょっと面白い。
そういう不思議な立ち位置の人だった。
ある会社の飲み会の帰り。
夜も遅く、ヒールで駅から家まで歩くのが面倒で、私はタクシーに乗ろうか迷っていた。
すると木下が、自転車で現れた。
そして言った。
「さらさん、後ろ乗ってっていいよ。」
その一言には、いろんな下心が見えた。
私は言った。
「いや、タクシーで帰るよ。」
すると木下は食い下がる。
「タクシーお金かかるし、乗っていきなよ。」
私は思った。
仕事でもその熱量を出せばいいのに。
普段、呼吸で返事をしている男が、ここだけ急にフルボイスになる。
もちろん私は乗らなかった。
普通なら、少し引いてしまう場面だと思う。
でも木下だと、なぜか笑い話になる。
着ぐるみで眠る男
木下は、私より先に会社を辞めた。
もともと営業がやりたかったわけではなかったのだ。
辞める直前、家をすでに解約してしまったらしく、後輩(男)の家に数日泊めてもらっていた。
冬だった。
後輩の部屋は寒かった。
布団もあったのに寒かった。
朝、後輩が目を覚ますと、木下は部屋にかけてあったトナカイのよく分からない着ぐるみを勝手に着て、布団の中で寝ていたそうだ。
どこまでも木下だ。
何とも憎めない。
今でも思い出すこと
でも今でもたまに思い出す。
「木下、呼吸で返事すな!」
あの言葉と、
へらへらした笑顔を。
人には、それぞれ育ってきた家の空気がある。
怒られ慣れた人。
期待されすぎた人。
自分の熱量をどこに置けばいいか分からない人。
木下は、たぶんその全部を少しずつ持っていた。
だから子育てをしている今、ふと木下を思い出すことがある。
この言葉、本当に届いているのかな。
親の熱量は、愛情にもなる。
でも時々、子どもにとってはただの圧になる。
もちろん、何でも自由にさせればいいわけではない。
でも、全部を管理して、全部を正そうとして、その結果、返事が
「っす…」
になる未来だけは、ちょっと避けたい。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
このSubstackでは、自分のこれまでの経験や、子育てや仕事をしながら気づいたこと、試行錯誤を書いています。
ちょっと笑えて、最後に少しだけ考えてしまう話を、これからも残していきます。
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さらさん、はじめまして。
「呼吸で返事すな」と諫めた上司の名言に唸りました。
木下のその後も気になります。元気に社会人されてるのかな、そうであればいいなと😊
的確なツッコミ^_^
呼吸で返事すな笑
彼は今でも呼吸で返事してるのか気になりました😆