異文化理解はリビングから始まるのかもしれない
Think globally, work locally
海外の人だと仕方ないって思えるのに、身近な人だとなぜか許せないことってありませんか。
たとえば、時間の感覚が少しゆるかったり。
こちらが空気を読んで濁したことを、まっすぐ聞き返されたり。
順番や距離感の感覚が、自分と少し違ったり。
相手が海外の人だと、
「まあ、文化が違うもんね。」
と、一度受け止められる。
でも、同じことを友達や、家族や、恋人がするとどうだろう。
「なんで時間守れないの?」
「普通そこは察するでしょ。」
「そんな言い方しなくてもよくない?」
急に、自分の中の普通が前に出てくる。
遠い文化の違いには寛容になれるのに、近い人の違いにはなぜか厳しくなってしまう。
今日は、そんなことを考えるきっかけになった、大学時代の話です。
卒業前、最後の授業
大学4年生の、卒業間際。
最後の授業で、教授が私たちにある言葉を贈ってくれた。
Think globally, work locally.
有名な言葉に、
Think globally, act locally.
がある。
「地球規模で考え、足元から行動する」という意味で、環境問題や社会課題について語られるときによく使われる言葉らしい。
でも、その日の教授の話は、もっと生活に近いものだった。
当時の私は、留学を経験して、異文化コミュニケーションや移民について学んでいた。
文化が違えば、考え方も違う。
価値観も違う。
コミュニケーションの取り方も違う。
だから、自分と違っていて当たり前。
そう考えることに、それほど違和感はなかった。
でも教授は、その考え方をもっと近い場所に向けてみてほしい、と話してくれた。
家族だから分かり合えるはず。
友達だから同じ感覚のはず。
恋人だから言わなくても伝わるはず。
私たちは、身近な人ほど自分と同じであることを期待してしまう。
でも、本当は違う。
育ってきた家庭も、見てきた景色も、大切にしてきた価値観も、一人ひとり違う。
言ってしまえば、家族もパートナーも、自分とは違う文化を持つ「異文化」の人なのだ。
当時の私は、
「なるほど、いい話だな。」
くらいの感じで聞いていた。
家の中の異文化交流
本当の意味でこの言葉を思い出すようになったのは、大人になってからだった。
結婚して、子どもが生まれて。
毎日が、思った以上に異文化交流だった。
夫に対して、
「なんで分かってくれないんだろう。」
と思う日がある。
子どもたちに対して、
「どうしてそうなるの?」
と思うこともある。
そんな時、ふとあの言葉を思い出す。
Think globally, work locally.
世界を見るような広い視点を、一番近い場所で使いなさい。
今思うと、あの時の教授の話は、たぶんそういうことだったのだと思う。
夫は夫の文化で生きている。
子どもは子どもの文化で生きている。
私には私の文化がある。
同じ家にいても、同じものを食べていても、同じ景色を見ているとは限らない。
もちろん、何でも受け入れるという意味ではない。
でも、違って当たり前という前提を持つだけで、コミュニケーションはずいぶん変わる。
今になって効いてきた言葉
卒業前の教室で聞いた話は、その時よりも、社会人になって、妻になって、母になった今のほうが、ずっと心に響いている。
言葉って、聞いた瞬間ではなく、何年も経ってから効いてくることがある。
大学4年生の私は、世界のことを考えていた。
文化の違いとか、移民とか、異文化理解とか。
でも今の私は、もっと小さな世界で同じことを考えている。
リビングで。
食卓で。
子どもの寝顔の横で。
夫にちょっとイラっとした瞬間に。
あなたは最近、身近な人に「なんで分かってくれないの?」と思ったことはありませんか。
もしそんな瞬間があったら、一度だけ思い出してみてください。
Think globally, work locally.
世界に向けるような広い視点を、一番身近な人にこそ向けてみる。
そんな生き方ができたら、身近な人との関わりは少しだけ優しくなるのかもしれません。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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ちょっと笑えて、最後に少しだけ考えてしまう話を、これからも残していきます。
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The idea that we can be more accepting of cultural differences in strangers than of differences in the people closest to us stayed with me. Perhaps intimacy creates the expectation that understanding should be automatic, when in reality even people sharing the same home may be living from very different histories and assumptions.
人の交流会って、そもそもが異文化交流だった😳
気づかなかったけど、本当ですね✨