「私も見て」3歳娘の赤ちゃん返りに隠された本音
平等に育てているつもりだった。でも見落としていたことがあった。
「なんで私のアルバムは、お姉ちゃんより少ないの?」
小学生の頃、このことにずっと納得がいかなかった。
今なら、そうなってしまう親の気持ちも少し分かる。
振り返ると、それ以外で親の接し方に不平等を感じた記憶はほとんどない。母は母なりに、姉妹を対等に育てようとしてくれていたんだと思う。
私が小・中学生の頃、母は毎週末、私の習い事に付き添ってくれていた。
私は社会人になって一人暮らしを始めたので、姉より先に家を出た。
でも社会人になったある日、母にこう言われたことがある。
「さらの習い事で姉と過ごせなかった時間があったから、姉が結婚して家を出るまでの時間で、その時の時間を少しは返せたかなと思っている。」
自分が気がついていなかっただけで、当時の姉は寂しい思いをしていたのかもしれない。
母が私につきっきりだったことに、腹を立てていたのかもしれない。
第一子を妊娠して、女の子だと分かった時。
もし二人目にも恵まれたら、私は絶対に平等に接すると決めていた。
アルバムも、写真も、記念になることも。
あとから「私の方が少なかった。」と思わせたくなかった。
二人目を妊娠した時、ほんとうに性別はどちらでもよかった。
でも男の子と分かった時、心のどこかで少しだけほっとした自分もいた。
同性同士よりは、お互いを比べたりしないのかもしれない。
そんなふうに思ったから。
娘は弟が生まれた時、大きな赤ちゃん返りはなかった。
生まれてすぐは弟の存在をあまり理解していなかったのだと思う。
今では弟のことが大好きで、「おそろいの服が着たい」と言う。
弟も、お姉ちゃんの真似をよくする。
お姉ちゃんが食べれば苦手なものを食べるし、泣いていればかけ寄って頭をなでてあげる。
でも最近になって、急に娘に赤ちゃん返りのような姿が見られるようになった。
今まで自分でできていたことを「できないからやって!」と要求してきたり、おしゃべりが得意なはずなのに宇宙語で話したり、察してほしそうにしたり。
しまいには、自分のことを「ビッグベイビーだから、バブちゃんって呼んで。」と言い出した。
赤ちゃんのように横抱きしてほしい、と。
最初はそういった行動に対して、
「自分でできるよね。」
「ちゃんとしゃべれるでしょう。」
と諭しつつも、注意してしまっていた。
その度に娘は泣いて、自分を赤ちゃんで通そうとした。
でもある日、先輩ママから「3歳は赤ちゃんですよ。」と教えてもらった。
そこで、はっとした。
娘が一人っ子だったら、もっと抱っこをしていたかもしれない。
もっと身の回りの支度を手伝っていたかもしれない。
わがままも「いいよ、いいよ」と聞いていたかもしれない。
弟が生まれたから、私は娘を勝手に「お姉ちゃん」にしてしまっていたのかもしれない。
弟はまだ、何をするにも手がかかる。
靴も履けないし、服も着替えられない。
危ないこともよくするし、抱っこしなければいけない場面も多い。
なにより、褒められるハードルが低い。
一方で娘は、自分でできることが増えた。
こちらの言っていることもよく理解している。
弟のようにゴリラの真似をしたからといって、周りにちやほやされることもない。
そんな無意識の「お姉ちゃんだから」という言葉や空気を、知らず知らずのうちに娘へ向けていたのかもしれない。
対等に育てているつもりだった。
でも、それは私から見た対等だったのかもしれない。
娘から見える景色は、きっと違った。
「私のことも見て。」
赤ちゃん返りは、娘なりのそんなサインなのかな、と今は思う。
だから最近は、小さなことを意識するようになった。
二人が抱っこを求めてきた時は、できるだけ娘ファースト。
赤ちゃんになりたい時は、受け入れる。
どちらかだけを褒めっぱなしにしない。
「お姉ちゃんだから」と言いそうになった時は、一度飲み込む。
こちらの意識が変わってから、困らせるような赤ちゃん返りは少し減ってきた。
バブちゃんに満足したら、またいつもの娘に戻っている。
もし上の子が急に甘えたり、できることを「できない」と言い出したりした時。
それは、わがままや困らせたい気持ちだけではないのかもしれない。
「私も見て。」
「私もまだ甘えたい。」
「私だけ大きい子にしないで。」
そんなサインとして出ていることもあるのだと思う。
もちろん、毎回きれいに受け止められるわけではない。
家に赤ちゃんが二人いるような状態になると、正直かなり大変だし、余裕がない時もある。
それでも、「お姉ちゃん」としてではなく、一人の娘として向き合う時間を、これからも大切にしたいと思っている。
親になった今思うのは、子育てや人間関係における対等って、同じ量を与えることが全てではないということ。
その子が、その人が、
「ちゃんと自分を見てもらえている。」
と感じられること。
今になって、母があの時話してくれた言葉の意味が、少しだけ分かる気がする。
そしていつか娘が大人になった時、
「お姉ちゃんだから我慢していた。」
ではなく、
「ちゃんと私のことを見てくれていた。」
そう思ってもらえる母親でありたい。
対等に育てるとは、同じに扱うことではなく、ちゃんと見ているよと伝え続けることなのかなと思う。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
コメントやリスタックしてもらえたら嬉しいです。私も読みに伺いますね。
ここでは、おうち英語のこと、専業主婦からのキャリア再形成のこと、そして日々のあれこれを書いています。
よかったら、また遊びにきてください。



さらさん、おはようございます!
まだ長男が小さかった時、「お兄ちゃんだから」という言葉を使ったことがあります。その時妻に、「お兄ちゃんだからはやめて」と注意されたことがあって、今伏線回収できた気がします。ありがとうございます。
さらさん、おはようございます。
よく観察するとその行動のうらに隠れている本当の気持ちに気が付けるかも知れませんね。うちの息子も注意すると、すぐに反論し、口答えをしますが、そうやって自分を守っていたのかも知れないと気がつきました。そうすると注意の仕方も変わってきます。本当の気持ちに寄り添えるかかわりを意識したいですね。